小さいころからチョコレートが好きで、大人になった今でもほぼ毎日食べています(いや本当に毎日だ)
3年前に始めたブログでも食べているチョコレートを記録してきたのですが、記事も数えてみるといつのまにか400近くになっているという。
これはあくまで「ブログで書けるレベルのチョコ」に限ってなので(量販系や一度食べたものは含まないなど)、それをカウントしないとなると、食べてきたチョコの数は軽く1000は越えてる感じになりますね。
なぜこんなにチョコレートが好きなのか?
それはきっと私の一族に由来があると思うのです。
今回はそんなチョコ好きの一家のちょっとしたファミリーヒストリーをお読み頂こうと思います。
船員だった祖父
私の父方の祖父は船乗りでした。
大正時代から船に乗り始めて、最初は下っ端だったのが、懸命に働いて機関長にまでなったといいます。
所属した会社は日本でも有数の船運会社で、おそらく名前を挙げれば誰もが知っていると思います。
積んでいた荷物はそれこそありとあらゆるものだったらしく、世界中の港から港へ航海を続ける日々だったそうです。
だから家に帰ってくるのは一年に数回しかなく、残された祖母が子供たちを育てながら自分で商売をして、家を切り盛りしていたと聞きます。
それではさぞかし寂しかっただろうかというと、それが案外そうでもなかったらしく、子供たちは祖母の商売を手伝ったりして、和気あいあいと暮らしていたそうでした。
それでも祖父が帰ってくると嬉しかったようで、子供たちや祖母がみんなでお寿司などをとってお祝いをしたといいます。
子供だった父や兄弟は祖父の顔を見るのはもちろん嬉しかったそうですが、なによりも楽しみだったのは、海外のお土産。
アメリカやヨーロッパ、中近東やアジア、アフリカなど、本当に世界中を巡ってくるのですから、そのたびに寄港地で現地のお土産を買って、家に帰ったら家族やご近所さんに配ったといいます。
そのお土産の中にあったのがチョコレート。
ベルギー、フランス、イギリス、イタリア、スペインなど、ありとあらゆる欧州の銘柄で、アメリカでもメジャーなブランドのチョコを数種類持って帰ってきたらしいです。(多分「ハーシーズ」)
父が子供の頃の話なので、戦後から少し経ったとはいえ、昭和20年~30年代といえば、まだまだ戦後復興の最中のころで、その頃でチョコレートといえばそれこそ高級菓子。
経済は上がり調子といっても、海外のお菓子が日常的に手に入る時代ではありません。
なので祖父の持ち帰る海外チョコはそれこそ宝物のような感じで、自分たちで食べて「美味しい!」と喜んだり、学校に持って行って自慢したりしたそうです。
そんな環境にあった父がチョコレート好きにならないはずはありません。
祖父は他にもバターや肉の缶詰など、当時の日本では手に入りにくいものを買って帰ってきたので、父の舶来物嗜好はその頃から始まっていたのでした。
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子供の頃から周りにチョコレートやケーキがあった
そんな環境で育った父が洋菓子好きになるのは当然のこと。
結婚して家庭を持ち、子供が生まれると(私のことです)、その余波は私にもやってきました。
もともと子煩悩だった父は釣りやキャンプや野球やらと、休みのごとに私や兄弟を連れ出して遊びに連れて行ってくれました。
誕生日やクリスマスになると、それこそ山のようにケーキを買ってきていましたし、普段でも仕事の帰りにチョコレートやショートケーキを買ってきてくれて、皆で楽しく食べたものです。
これが私がチョコレートやケーキを好きになった理由ですね。
今でもデコレーションケーキを丸ごとく食べ尽くしたい衝動はありますし(実際には腹がもたれるので無理ですが)、子供の頃は祖母が買ってくれたアイス制のデコレーションケーキを一人で平らげたこともあります。
なので小学生のころは結構太っていました。
こうして男ながらに甘いものを好む性質はこの頃から培われてきたのです。
まとめ
ちょっとした我が一族の「チョコ好きヒストリー」を紹介させてもらいました。
今でも父は甘い物が好きで、外に出かけた時はチョコやらクッキーやらを買ってきているそうです。
最近は高齢者の健康診断で糖が降りているようで、さすがにちょっと控えているようですがね。
私自身も相変わらずチョコ好きで、毎日ちょくちょく口にしています。
目指すは荒又宏さん。
有名な作家であり、博物学者であり、妖怪研究家としてメディアにもよく顔を出す先生ですが、この方がスイーツ好きなのはかなり有名な話です。
いつかは私も荒俣さんのようにチョコ・スイーツの大家を目指したいですね。
全国都道府県のチョコを制覇した後は世界のチョコを求めて旅立つのも良し!
チョコキングを目指して毎日バリバリ食べることにしましょう。